ウインターストーリー
本当にあった話!
武山 勝のちょっと気になった人

日中にはトレーナー1枚で滑れるほど、ここ菅平もすっかり春めいてきました。今シーズンのスノーボードスクールもまもなく終了します。疲れたやら、ホッとするやら、寂しいやら複雑な心境です。今シーズンも沢山の方にスクールを受講していただき有り難うございました。これだけ大勢な人が来ると中にはちょっと変わった!? 面白い!? 気になる人!? もいます。ここでシーズンを振り返って特に印象に残った人達をピックアップして、ご紹介していきたいと思います。




雪かけ女 1/2/2000

 初心者コース(1日)での出来事。午前中は4名。その中にかなりイケイケの中学生の女の子が2人いました。「言葉使い上手いよね。」 おいおいそれを言うなら丁寧だろ。と思いつつ午前中のレッスン終了。午後になると「うちら(私達)だけになったから、もっと言葉を合わせてよ。」と言ってくる。「じゃ行こか」とちょっと変えてみる。この頃からレッスンの歯車がずれてきた。「ね、はげ山はいくつ?」とはげ山呼ばわりされる始末。おまけに人が説明していると雪をかけてくる。こうなったら男30歳、負けてなるモノかと、かけ返す。もう彼女たちは教わることはどうでも良くなったらしく、やりたい放題。上手くなるだけがレッスンじゃない!これで楽しんでもらえるんだったらいいかーと結局雪かけで終わってしまった午後のレッスンでした。ちなみに次の日担当したK氏も雪だらけになったとか。



揺れる男 30/12/1999

 その日は男性4名の初心者コース。そのうちの一人がちょっと妙な動きをするんです。人の話はよく聞く人ですが、落ち着きがない人なんです。「スノーボードはバランスが大切です。上半身をビタッと止めて基本姿勢で安定させます。」「フムフム」ビクビク。「いや、○○さんビタッと止めて安定させて」「フムフム」ビクビク。「○×△……」。と、まぁ常に「フムフム」「フムフム」と言いながら身体全体がバイブレーション状態で小刻みに揺れているんです。本人はもちろん真剣そのもの。でも、見ているこっちはちょっと可笑しくて「クククッ」と小刻みに揺れてしまいました。



通う女達 12/1999〜3/2000

 今シーズンを語る上で忘れてはならない2人がいる。昨シーズンからのリピーターのYさんとHさんです。とにかく通い続けました。まず、12月の年末からお正月にかけ て8日間の合宿。その後も週末は殆ど日帰りツアーでレッスンを受講。3月末には2日間受講、1日休み(この間、菅平、東京を往復です)、2日間受講、1日休み、4日間受講とハードスケジュールをこなして行きました。これは本当にすごいことです。そして感謝しています。もちろんすごく上手くなりました。でもこの2人「今の良かったよー」と言ってもなかなか納得しないんです。「曲げが取れないー」「出来ないー」と言うのがちょっと口癖。でも本当に上手くなりましたよ。来シーズンも通い続けて下いね。



惚れる男 23/2/2000

 初めての男性。レッスン中も僕(木内)が話をしていると、じっと目を見つめてしっかり話を聞いてくれる。リフトに乗っている間も「スクールに入って良かったです。初めての時は大切ですよね。」と言ってくれて何だか恥ずかしい感じ。1日のレッスンが終了した時に、その男性から「是非一緒に写真とって下さい。」と言われたのです。時々あることなのですが、男性から是非一緒にと言われたのは初めてでした。しかも2ショットで…。木内洋和21歳、春来る。



親父の烙印 10/3/2000

 スタッフK氏が2日間担当したIさんは18歳。ちょっと美人で年齢よりも落ち着いて見える感じの人。レッスン中も真剣でしかも上達も早かったのでK氏はそのレッスンに大満足。そんな彼に3日目に変わって担当したT氏が一言。「Iさんkさんのこと話してたよ。」「えっどんなことですか?」「kさんは童顔で若いんだけど、言うことが親父なのよねー。」「……………。」 少しだけ落ち込んだK氏26歳春のことでした。



怖い顔

スノーボードにもバッジテスト検定がある。ジオスポーツでも毎週日曜日にこのバッジテスト検定を行っている。この検定会でちょっと怖い顔(本人は真剣なだけで怖いとは思っていない)をした人物が一人いる。何を隠そうこのT氏だ! ことの発端はこうです。検定日、当日になるといつも来ているリピーターの人達に「今日、検定受けようよー」と聞くと「だってTさんの顔が怖いくて緊張するからヤダー」とのこと。これはショックでした。どうやらスクールと違ってジャッジしていると見落とさないように真剣になりすぎて表情が硬く怖く見えるようです。これは如何と反省しました。最終検定日そこには優しい笑顔で迎えるT氏がいたことは言うまでもありません。 PS ここに記載した人達は実在の人物ですが、ちょっと、大げさに書かせてもらいました。

菅平スノーボード事情

 スノーボードの歴史は1960年代に米国ミシガン州で生まれたとされています。日本 で本格的に始まったのは80年代に入ってからのことです。当時はスノーサーフィンと 呼ばれることもあり、まだまだ、一般的な認知度は低いものでした。当初、スノー ボードに対してスキー場は否定的なところが多く滑走を認めない、または一部のみ滑 走可というケースが殆どでした。スノーボードにとっては辛い時期でもありました。 その後、用具の進化、技術の向上、安全面の取り組みなど飛躍的に進み、多くのス キー場がスノーボードを開放していきました(99-00シーズンには志賀など)。今では誰で もが手軽に楽しめるスポーツに発展してきたと言えます。  さて、スノーボード全般の歴史的な話はこのくらいにして、ジオスポーツスノー ボードスクールも6シーズンを無事終了(本当はまだ終わってないけど)しました。菅 平のスノーボード事情をスクールの歴史と共に振り返って行きます。  スクールが始まった94-95シーズン、スノーボードは一部滑走可(奥ダボスゲレンデ・ホワイト ダボスゲレンデ)という状態でした。この奥ダボスゲレンデの開放があったからジオス ポーツスノーボードスクールの開校となったわけです。この頃スノーボードはままま だ少なく、滑っているだけで目立つといった具合でした。自ずとボーダー同士が話を する機会が多く(上手いね。どのくらいやってるの?)、その日、ゲレンデにいるボー ダー全員と話をしてた程です。ウエアーは、だぼだぼのデカパンというスタイルで、 グランドトリック(滑走中に180度回ったり、オーリーなどのジョンプ)が流行ってい ました。スノーボードのイメージは、あくまで若者のスポーツと言った感じです。  菅平でのスノーボード人口が飛躍的に伸びたのは、96-97シーズンからでした。、何か のCMで内田有紀が「スノボーしよー。スノボー行こー。」と行っていたのがきっかけ かどうか、流行ものには目がない高校生がスノーボードに飛びつきました。しかも殆 ど女子高生。スクール30名全員、女子高生なんて日もありました。菅平は97-98シーズン に全面滑走となり、今ではゲレンデにスノーボードの方がスキーより多い日もあるく らいです。スノーボードの事故が新聞やTVで多く報道され始めたのもこの頃です。 スノーボードの事故の多くは、初級者による緩斜面での怪我が多いとされています。 無理せず、疲れた時は休むみ、安全かつマナーの良く滑ることが大切です。もちろん 安全な滑りには基本が大事。レッスンを受けることをお薦めします。  ここ数年スノーボードのイメージが変わってきたように感じます。ひとつに年齢層 が大幅に広がったことです。スクールでも5歳から50歳くらいまで幅広い参加もあ り、親子でスノーボードを受講する方も増えています。まさに子供から大人まで楽し めるスポーツに変わってきたと言えます。これは本当に喜ばしいことです。もう一つ が学校教育の一環でスノーボードを行う団体が増えたと言うことです。中学校での野 外活動、高校での修学旅行、大学での単位体育などなど。ジオスポーツでもシーズン に何度か手掛けています。レッスンでは、受講者の意識が変わってきました。スクー ルというと初心者が受講するものというイメージから、上手くなるために何度でも レッスンを受講する方が増えてきました。用具の進化は目覚ましく、ボードのターン 性能、バインディングの装着感、ブーツのホールド感など、スノーボードの醍醐味で あるカービングターンがより味わえるようになりました。  2000-2001シーズンの菅平スノーボード事情はどう変わっていくのか。これからもジオ スポーツスノーボードスクールは一緒に見つめていきたいと思います。 1